今年初登山は、お墓参りを兼ねた1200年の歴史ある高野町石道(1月2日山行記録(3))
大門をくぐったところの町石が6町。しばらく街中を歩くようにして進む。車も通れば観光客も歩いている。2町、1町の町石は見上げないと見過ごしてしまいそう。別に案内書きがありました。
いよいよ高野山、昔は女人禁制
最後の一番石、案内表札がないと見過ごしそう
12時50分、ついに壇上伽藍の根本大塔に到着。根本大塔がゼロ町に位置づけられるもの。これでまず最初のミッションクリア! 休憩含め5時間38分で完登。まずは小休止して、根本大塔をお参り。正月からだろうか無料だった。
壇上伽藍に入る伽藍中門
持国天 多聞天
お正月だからだろう。ふるまい所というテントを張ったところがあり、中で葛湯とお神酒をサービスしてくれていた。迷ったがせっかくなのでお神酒を。恰好が登山者だったこともあり、九度山から登って来たんですよというと、(サービスのつもりなのか)紙コップになみなみと入れてくれた。水分を必要としていたこともあるが、すぅーっと飲んでしまった。酔っぱらわなければいいのだが、、、
三鈷の松や金堂、六角経蔵(経堂)(1周回しました。これで一切経を一通り読んだのと同じ効果!)をさっと見学しながらひと休み。さすがに壇上伽藍の境内で食事するのは気が引けたので、ここは水分補給のみ。
金堂
六角経蔵(経堂) 入母屋造りの山王院
ここからは奥の院への新たなシリーズの町石を辿ります。慈尊院から壇上伽藍・根本大塔までの180の町石は胎蔵界曼荼羅の百八十尊の諸仏を表しているらしいのですが、壇上伽藍から奥の院御廟までの参道には金剛界曼荼羅の三十六尊の諸仏を表す36の町石があります。こちらはカウントダウンではなく、カウントアップ。(やはり根本大塔がゼロにあたり、)愛染堂の前にある1町から順に辿っていきます。全部を一度に歩いた記憶はありませんが、ここからはお墓参りのついでに何度か観光したことのあるところ。きまま仙人にとっては、馴染みのある場所です。
愛染堂の前に一町の町石
蛇腹路を抜け、金剛峯寺は境内を覗くだけで建物内やお庭はパス。
金剛峯寺の入口
金剛峯寺の境内
ここからしばらくは車が通る普通の道の歩道を歩きます。一の橋からは墓地内。有名人(主に武将たち)のお墓には目もくれずに歩いて、13時42分 聖域の入口である御廟橋に。ここから先は撮影禁止、脱帽、もちろん飲食NGです。
墓地の中にも、こんな感じで町石があります
御廟橋、ここから先は聖域なので撮影禁止
弘法大師御廟のお参りを済まして、これで2つ目のミッションも無事クリア。観光客に交じってぶらぶら歩いて奥の院前バス停に14時2分着。ここで今日の登山自体はゴールです。
本当なら土産物屋かお食事処に行くパターンですが、今回はここから墓参りに。墓地(もちろん武将たちと同じようなところではありません。まったく普通の墓地です。)までは迷わず行けたのですが、久しぶりだったのと、一人で来ることはなかったので、お墓の場所がどこが探し回ることに。事務所に人がいれば聞けたのですが、その時は閉まっていました。(冬期はいないことも多いらしい。) マキや線香、ろうそくも無人売店。最後は実家に電話して場所を聞くはめに。何とか無事見つけてちゃんとお参りしてきました。証拠の写真も撮って。
バスの時間は調べてあったのですが、時計を見るともう直前。急いで走ってバス停まで戻り、何とかぎりぎりセーフ。高野山駅まで戻ると、待ってくれていたかのように橋本駅行の連絡バスに乗れました。帰りの乗り継ぎは本当にラッキーでした。
結果、何と5時半には自宅(実家)に余裕で帰宅。ひと風呂浴びて、ゆっくり家族と夕食を取れました。
めでたし、めでたし。
実家から比較的近い、しかも馴染みのあるエリアに、まったくよく知らない面白いところがあったんですね。山としては今ひとつですが、次回は高野三山(摩尼山、楊柳山、転軸山)も一度登っておきたいな。
おしまい。
補足:高野町石道に関しては、南海電鉄のここのイラストマップ、奥の院へはここのイラストマップが非常に参考になります。高野線の主要駅ではもらえるようです。
| 固定リンク
コメント