ルーヴル美術館展 日常を描く-風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄
遅ればせながら、国立新美術館のルーブル美術館展について書いておこう。
おそらく東京でのルーブル美術館展は2009年(ここ)以来ではないだろうか。ネームバリューのある美術館だけに、今回も結構人が多かった。
今回サブタイトルが、”日常を描く-風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄”。比較的に地味なセレクションだったと思う。その中で、やっぱり目玉は初来日、フェルメールの "天文学者"。かくいうきまま仙人も、この絵につられて見に行った部分があることは否めない。朝開館前にならんだものの、少し出遅れたきまま仙人は、部屋を2つ3つスルーして、初めにこの絵を見に行った。パリで見た記憶などはまったくないが、ポスターや雑誌で見慣れた絵なので、正直感動はやや薄かったか。でもフェルメールらしい細やかさ、光の感じは出ている絵でした。天球儀や壁の絵など、細かなところを見るのも面白い。
フェルメールの "天文学者"
それ以外はというと、意外と馴染みのない作家が多かった。名前くらいは知っていても、ロココや自然主義などの作家は意外によく知らない。とはいえ、絵がつまらなかったかといえば、まったくそんなことはない。結構楽しめる展覧会だった。いくつか印象に残るものをあげてみよう。
きまま仙人がインパクト大だったのが、フランソワ・ブーシェの"オダリスク"。挑発的な大きなお尻をこちらに向けて、意味深な微笑は、官能的ともいえるし、バカにしているともいえる、いや下種ですらある。もっと小さな締まったお尻なら全く違った絵になるのに。なかなか面白い。
フランソワ・ブーシェの"オダリスク"
レンブラントの "聖家族"、または"指物師の家族"も宗教画でありながら、日常っぽい。光の使い方は、さすがにレンブラント。
レンブラントの "聖家族"、または"指物師の家族"
風俗画というだけあって、日常生活や日常の出来事が感じられたり、暗示されていたり、細部までじっくり見るのが面白い。端の人間の視線や行動。登場人物の関係性を想い描くと物語が感じられたり。風刺や教えのようなものが含まれていたり、、、
いろいろ考えながら見るのが楽しい絵が多かった気がする。
他にもいくつか紹介しておこう。
クエンティン・マセイスの"両替商とその妻"
ティツィアーノの"鏡の前の女"
バルトロメ・エステバン・ムリーリョの"物乞いの少年"
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