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2014年7月15日 (火)

オルセー美術館展 印象派の誕生 -描くことの自由-

日曜日に国立新美術館に「オルセー美術館展 印象派の誕生 -描くことの自由-」を見に行ってきた。

ブログに書いたようにすごい人。フェルメール展ほどではなかったが、こんな混んでいる日に美術館など行くものではない。とはいえ、展覧会自体はなかなかいいものでした。

Orsay_01

 

今回の展覧会、オルセー美術館から名品が84点。以下のような構成で見せてくれた。きまま仙人は、この構成、楽しく見させてもらった。

1章―マネ、新しい絵画
2章―レアリスムの諸相
3章―歴史画
4章―裸体
5章―印象派の風景 田園にて/水辺にて
6章―静物
7章―肖像
8章―近代生活
9章―円熟期のマネ

何といっても、マネ、モネ、ルノワール、セザンヌ、ドガなど超有名な画家の絵が並ぶ。ミレーやクールベなども。まぁ人が多いのもうなづける。

オルセー美術館というと印象派と思い浮かぶが、収蔵品は写実主義/自然主義、ポスト印象派、象徴主義など多岐に渡る。今回は「印象派の誕生 -描くことの自由-」とサブタイトルが付いて、初めと終わりの1,9章にマネを配して、あとはジャンル別とでもいう構成になっている。2,5章は統一感があるが、3,4,6,7,8章は、逆に比較できるような並びが面白かった。たとえば、裸体のところでは、ミレーとルノアールの裸婦が並ぶ。

5章は印象派好きにはもちろん見ごたえのある章だが、逆にきまま仙人としては4章の裸体と、7章の肖像が印象に残った。

何枚かコメントすると、
まずは、アレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生」。海の上に何とも官能的な裸婦、その上をけっしてかわいいとはいえない天使が舞う。裸婦の表情もいい。

Orsay_03

ジュール・ルフェーヴルの「真理」もインパクト大。ほぼ等身大の裸婦は、迫ってくるような迫力があった。

Orsay_04

裸体ではもうひとつウィリアム・ブグローの「ダンテとウェルギリウス」が印象的。地獄で罪人たちが争っているのか? 背中に膝蹴りをいれつつ、喉にかみついている絵は身震いすらする。怖さというか気持ち悪さというか、でも目をそらせられない。

Orsay_05_2

肖像では、クロード・モネの「ゴーディベール夫人の肖像」がいい。モネらしさもある等身大サイズの全身肖像画。ただ正面を向いているわけでも横顔でもない。斜め後方を見ているので、顔がよく見えないところが想像力を湧き立たせる。ただ、発注者は満足して受け取ったのだろうか?

Orsay_06

目玉としては、ミレーの「晩鐘」。あとマネの「笛を吹く少年」と「草上の昼食」。「草上の昼食」は日本初公開とのこと。家賃が払えず、大家さんの手に渡り、取り戻した時には腐食により切断せざるを得なかったとのことで、いびつな2枚構成になっている。面白いエピソードだ。

Orsay_02

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エピソードというと同じマネの「アスパラガス」も微笑ましい。この絵の前に、アスパラガスの束の絵を渡したところ、少し多く代金が送られてきた。そこで、1本抜け落ちていたというメッセージとともに、この絵を送ったらしい。

Orsay_08

残念だったのは、人が多くて見にくかった(特に離れて見ようとすると、下の方が人で見えない。)ことだが、さすがに損はない展覧会だ。これから行こうという人は、ぜひ平日行かれることをお勧めします。

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