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2013年6月12日 (水)

単独行者 アラインゲンガー 新・加藤文太郎伝 谷甲州著

谷甲州さんの「単独行者 アラインゲンガー  新・加藤文太郎伝」を読んだ。

新田次郎さんの「孤高の人」の加藤文太郎とはまた違った人物像であり、とても面白かった。

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加藤文太郎というとやはり新田次郎さんの「孤高の人」を避けては通れない。きまま仙人は1991年、雲ノ平に行ったときに同行者から勧められ、富山駅(近く?)の本屋さんで、上巻を買って車内で読みながら帰ったのを思い出す。それ以来、「孤高の人」の加藤文太郎に少しは影響を受け、ひとりでも山に行くようになったといっても過言ではない。

谷甲州さんの「単独行者 アラインゲンガー  新・加藤文太郎伝」は「孤高の人」とはまた違った加藤文太郎像を描いている。単独行に向かっていく過程や、雪山に向かっていく心理、そして吉田(「孤高の人」では宮村)とペアを組んで北鎌尾根に行くまで、遭難の原因。。。どちらの方がいいとかではなく、2つの小説の加藤文太郎の違いは興味深かった。どちらかというと「孤高の人」の方がストーリー的に小説的。「アラインゲンガ-」の方が、より登山家としての人物そのもの、あるいはその内面に突っ込んだ加藤文太郎人物主体の小説になっているように思う。

「孤高の人」では遭難の原因がすべて同行者の吉田(宮村)氏にあるようになっており、ここに不満を持つ人は多かったはず。そういう意味では、「アラインゲンガー」では吉田氏も優れた登山家としてきっちり描かれている。この部分は孤高の人より本作の方が好きだ。

本作にあるように、遭難の日の朝、初級者2人を槍ヶ岳の頂上に案内した後、予定より遅く北鎌に出発していたというのが事実なのなら、このことこそが最大の事故原因だと言わざるを得ない。孤高の人では一切触れられていなかったところだ。また「孤高の人」にはない、加藤・吉田2人での冬の前穂北尾根の記述は印象深い。

一方で、両作品ともに共通しているのは、加藤文太郎が愛想のない、表現ベタ、融通の利かない、気が利かない不器用な男である点。小説だから誇張している部分もあろうが、はっきりいってきまま仙人もこんな男は迷惑だと思うし、あまり付き合いたくない。やはりコミュニケーション力は大切だ。また人を不快にしないような最低限の努力はすべきだろう。性格がそうだから、では許されないレベルだと思う。特にこの小説では、結果的に彼の性格が死の北鎌尾根に繋がっているように思えてならない。

もうひとつ加藤文太郎は慎重で、しっかり準備もしていたと書かれている部分もあるが、やはりその行動は無謀で身勝手と取れる部分は多い。父を見舞いに行ったときの山行で、予定日を過ぎても戻らなかったり、冬の氷ノ山で遭難しかけたケースなどは、きまま仙人には慎重とは見えない。北鎌で死ななくても、いつか同じようなことが起こったのではないかと思ってしまう。

ペアを組んで2人で行った北鎌で帰らぬ人となったことが、より単独行の加藤文太郎を伝説化しているのは皮肉でもある。これが単独行時の遭難で亡くなっていたのだとしたら、、、ここまで有名な登山家として名が残らなかったのかもしれない。

「孤高の人」を読んでから、既に20年以上たっている。きまま仙人の家の書棚には、今も文庫本の上下巻が並んでいる。細かいところは忘れているので、久しぶりに読み直してみよう。ついでに加藤本人が書いた「単独行」も読んでみようかな。

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